歩み

1956年 アーケード完成

1964年 東京オリンピック開催頃の武蔵小山商店街

〜1970年

武蔵小山周辺はかつて武蔵国荏原郡に属し東海道一番目の宿場町である品川宿にほど近い土地として賑わいました。1923年の目蒲線開通によりさらに発展し、商業が活発化していきます。1937年には「武蔵小山商店街商業組合」が発足しましたが、1943年には満蒙開拓団結成に伴い組合を解散、その後太平洋戦争の激化により空襲で商店街全域が灰燼(かいじん)と化し、戦後の1947年に当組合の前身となる「武蔵小山商店街協同組合」が発足しました。1952年にはクレジットサービスの前身とも言える「割賦販売事業」をキャッシュレス決済が話題になっている70年程前から開始しておりました。1956年には初代アーケードが完成し、日本を代表する商店街の一つとして天候に左右されずにいつでも買い物が楽しめるということで遠方からも多くのお客様や視察団が訪れるようになり、週末ともなると少し先でも見通すことができず、真っ直ぐ歩くこともままならないほどとなりました。1963年には協同組合から振興組合に組織変更を行い、商店街会館の建設や不動産事業への展開も開始いたしました。

1970年頃 アーチ、屋根のリニューアルを進める武蔵小山商店街

1970年〜1990年

70年代の後半には安定成長景気や公共投資景気から一転、時代は円高不況を迎えます。多くの生産拠点はコストの安い海外に移転し、これまで高度成長を支えた日本のものづくりは空洞化したため、商業にも大きな影響を与えました。一方、日本各地で大型店の開店や輸入した海外製品の需要も一気に増加したため顧客のニーズや消費も多様化し「モノを選ぶ時代」となりました。こうした時代の変化に取り残されることの無いよう、武蔵小山商店街も今必要なことの検討や次の時代のために何をすべきか研究に取り組み、その一環として1985年にアーケードの建替えを実施。また公募により愛称を「パルム」と定め、よりお客様のそばに寄り添う商店街として新たなスタートを切りました。

1990年〜2007年

バブル経済の崩壊によりこれまで国内外に名を馳せていた企業の破綻や基幹事業からの撤退など、個人消費を含めた国内経済は深刻な状況となりました。その中、パルムとしても生き残りをかけた施策として1993年に「ポイントサービス」をスタート。さらに1995年には従来より運営していた小山クレジットとポイントカードを一体化させた総合POSカードを発行、お客様の満足度向上を目指しました。また、インターネット時代が来ることを想定し商店街の公式ホームページの開設を進めてアナログ媒体とは異なる情報発信という、新たな風を吹き込みました。
1997年には「目蒲線(目黒線)地下鉄誘致期成同盟」の中心として当組合からは組合員含め合計5億円ほどを拠出、近隣の企業や地元町会からも約3億円ほどを急行停車の為のホーム建設資金として拠出し、2006年の地下化と同時に武蔵小山駅は急行停車駅となりました。

2021年 パークシティ武蔵小山完成後の武蔵小山商店街

2007年〜2022年

2008年、アメリカ合衆国のサブプライムローン破綻に端を発した「リーマンショック」や2011年3月11日「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」の発生、2020年からは「新型コロナウイルス(Covid-19)」のパンデミックなど、2000年代から今日に至るまで国内経済は様々な要因から安定的な時期はほとんどありませんでした。近隣の複数商店街との合同イベントである「ムサコたけのこ祭り」の開催や商店街クレジット・ポイントシステムの刷新と新たに電子マネーサービスを含んだ「パルムペイメントサービス」の開始、独自の公式アプリ「パルムクラブ」の展開や駐車場精算機のリニューアルと「駐輪場」の新規設置などを進めました。最近では駅前の再開発に伴い、戦後最大とも言える大きな転換期をパルム商店街は迎えている中、今もなお新しい商店街のあり方を模索し、商店街の振興事業を行っております。パルムのみならず、この街の賑わいが100年、200年と続くように引き続き取り組みを続けてまいります。